健康第一、大切な事

今日は、堤です。連日暑い日が続いています。体温や体温以上に気温が上昇すると、体から発生した熱を外気(周囲)からは冷やせなくなる為に、何もせずそのまま外気にさらされていると、どんどん体温が上昇してしまいます。そこで、エアコンや扇風機などで、体や体の表面を冷やします。
その際に注意しなければならない事が有ります(以下は個人の見解?感想?です)。
1急激な温度変化
 室外や屋外の温度(気温)が高く、室内の温度が低い(温度差が大きい)場合には、室内外を出入りした場合、体の体温調節が追い付かず(追随出来ず)に、変調をきたしやすい事。
 暑い場所から冷房した部屋へ入ると涼しくて気持ちが良いです。でも、暑い場所では体を冷やそうとして、体の表面には汗をかいています。
 このまま涼しい部屋へ入った場合、体の表面から汗が蒸発して気化熱が奪われ、急激に体が冷えてしまいます(暑い所では体を冷やそうと
していたのに、今度は体を温めようとします)(人は哺乳動物であり、体温調整して体温を一定に保ち、絶えず体を守ろうとしています)。
 すると、疲れやすくて、体調を崩し易くなります。
  健康の為には、
  ①やはり、不快でない程度に必要最小限冷房し、体に負担をかけず、エネルギー(電気代)の無駄をなくす事が望ましいこと。
  ②また直接、冷房の冷気が体に当たったりすると、急激に体が冷えて体の深部まで冷えてしまうし、絶えず体を温めようとするので、冷
   気は直接体に当たらない様にしたいものです。
2飲食物
 この暑い夏には、冷たい飲食物は美味しいです。ついつい冷たい物を飲んだり食べたりします。
 しかし、過度に冷たい物を飲食しますと、体の体温を保とうとして、同様に体を温めようとします。
  健康の為には、
 ①なるべく、冷房した涼しい場所では、冷たい物の飲食は差し控える。
 (暑い場所で冷たい物を飲食すると、体を内部から冷やしますが、涼しい場所で冷たい物を飲食すると、体の内外から急激に体が冷えてし
 まいます)

  この暑い時期には、涼しさや冷たい物の誘惑で、ついついビールやアイスクリームなどの冷たい物を飲食したりします。でもまあ何事も 良い加減で健康第一でしょうか。ではまた。
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今年は今年の風が吹く?

今日は堤です。今は梅雨が明けて、最も暑い時期かもしれません。
連日、最高気温を更新して、年々日本の夏の気温は上昇している様です。このまま何処まで気温は上昇して行くのでしょうか?
人は、体温以上に気温が上昇すると、体を冷やせません。気温がどんどん上昇していき、地上でエアコンでも人を冷やせなくなったら、地下生活になるかもしれませんが{%webry%}。
 さて、畑での野菜作りをしていますと、自然(天候など)と向き合っているので、今年の春先からの天候や気候はどうであったか?例年と比較したりします。
個人の感想?ですが、今年は、春先に気温が上がらず梅雨が梅雨らしく雨が多かった様な気がします(私の住んでいる地域ですが)。
 梅雨が長く雨が多いと日照不足になりますが、野菜により陽射しを好む陽性植物と、そうでない野菜(半陰性植物、陰性植物)が有り、水を好んだり、好まなかったりもします。
1.陽射しを好む植物:スイカ、トマト、ピーマン、ナス、トウモロコシ、サツマイモなど
2.半陰性植物   :小松菜、里芋、生姜、アスパラガス、ネギなど
3.陰性植物    :三つ葉、セリ、ミョウガ、フキ、ニラなど
 これらの野菜の好みに応じて、陽射しの多い場所に野菜を植えたり、或いは、水はけの悪い所では、畝を作って土を高くして植えたりもします。
或いは、ビニールハウスにより雨を避けたり、春先には保温したりします。
 今年は、虫があまりいなかった気がしますが、春先に気温が上がらなかったからでしょうか?
虫や蜂などがいないと、受粉してくれないので、受粉により着果する野菜などは収穫が少なくなります。
 今年は今年の風が吹く?と言いますが、今年の野菜作りの個人の感想です
 自然の天候を人は変える事が出来ないので、自然の変化に合わせて色々と工夫して野菜を作るしかありません。
 人間社会では、さしずめ長い物には巻かれろ?、まあ会社の社風、部署、上司、目上の人、力(権力)の有る人などには、争うより従っている方が得でしょうか?(変える事が出来なければですが)
生きて行くには、何事も工夫が大切です。ではまた。添付:オクラの花、スイカ
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本当の幸せは、自分自身の中に有る?

今日は、堤です。今年は、梅雨らしい雨の多い日が続きます。雨は適度に(良い加減に)降らないと、日照不足や洪水、或いは干ばつになるなど、災害や飢餓(飢饉)を生じます。現代の人間の英知や科学では、天気は予想出来ても、天気を替える事は出来ません。
まあ出来なければ、雨ごい?或いは照る照る坊主?などの神頼みでしょうか?
人は奢ってはいけないと思います。
 さて、人は誰でも幸せになりたいし、幸せを探し求めます。
でも、自分にとっての幸せとは?他人が何と言おうが、自分が幸せだと思えれば幸せなのではないでしょうか
また、自分にとっての幸せとは何なのかを分からなければ、幸せを探したり、幸せを掴(つか)む為の努力が出来なかったり、周りの日々の生活や仕事に押し流されて、幸せを掴めず、何時の間にか年月が過ぎ去ってしまうかもしれません。
 お互いに、自分の幸せを知り、探し求めて今後も歩んで行きましょう。ではまた。
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全てのものには理由が有る?

今晩は、堤です。
早いもので、今年、令和になって早、半年が経過しました。
 私達は、何気なく普段の生活に追われ、繰り返しの生活で時が過ぎ去って行く事が多いものです。
すると、あっという間に時が過ぎて、人生は過ぎ去ってみれば短いものです。
 
 さて、普段の生活の中では、こんなふうに暮らしているのは何故?などと問う事や疑問に思う事は中々無い人が多いと思います。
でも何も思わず過ぎ去ってしまっては、勿体ない様な気もします。また、理由も無く生きて行くのは空しい様な気がします。
全てのものには理由が有る』。究極は、何故この生きる世界へ生れて、生きているのか?でしょうが誰も分かりません。
生れて来た事には理由が有るけれど分からないだけで、生きる事には価値が有るからこそ生まれて来たと考えた方が、有意義に生きて行かれると思います。
 せっかくこの生きる世界へ生れて来たのであれば、この世界の色々な場所を見たり、色々な人と出会い、色々と学び、出来る限りの経験をして、充実した人生にしたいと、誰でも思っています。
 でも、全ての人の人生には限りが有るので、まず優先順位をつけるでしょうか?
自分の生き方や目標、目的などを明確にしたり、把握したり、理解して絞り込み、それからポジティブに行動する。
限られた人生を充実させるには、これしか無いかもしれません。
 でも人生は、十人十色、三者三様であるし、堅苦しく人生を考えず生きて行く事も良いかもしれません。
どちらを選んでも人生は一つしかないし戻れないので、お互い賢く選択して充実した人生になる様に努力しましょう。
ではまた。添付:ブーゲンビリア
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限り有るものは大切なもの

今日は、堤です。
今は、梅雨時でしょうか?雨が降ったりやんだりです。でも梅雨が明ければ、あの猛暑がやって来ると思うと、梅雨は長い方が良いのか分かりません。
 さて、私達が生きて行くにあたり確かな事は、生きる事には限り(限度、限界)が有ると言う事です。
そして、その生きて行く限りと言うのは、
1期限(時間)、2行動範囲(場所)、3自分の器や能力(器量)であり、4経験出来る事です。

1期限については、大きい区切りでは、生きている全ての時間であり、細かく時間を区切ると、小中高などでの勉学、就業する(働く)時間であり、その後の時間で、過ぎれば元へは戻れません。
行動範囲については、何処へ行ったりするにも、或いは何かをするにも範囲や限り(限度)が有ります。(例えば旅行したとしても、中々、宇宙旅行は出来ないでしょうし、色々な職業を限りなく変わる事も出来ません)
自分の器や能力については、人間として生まれたからには、人間の限度を超える能力は無いし、行動する事も出来ません。
4経験出来る事については、生きている内に全ての人に会う事は出来ないし、限られた(生きる)時間の中で、限られた経験をするしかありません。(例えば、某有名大統領には、中々、直接は会えないだろうし)
 
 そうこう考えてみますと、今、生きている時間が限り有るからこそ貴重であり、経験出来るからこそ大切にしなければならないのでしょう。
 人が不老不死であれば、時間や若さや経験などを大切にしなくなるだろうし、同じような事の繰り返しに終始して退屈するかもしれません。
 お互い、限りあるものを大切にしてこれからも生きて行きましょう。ではまた。(添付:カボチャの花)
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奢(おご)れる者久しからず?憎まれっ子、世に憚(はばか)る?

今日は堤です。今日は久しぶりに、まとまった雨です(今年2回目?) 今年は、雨が少ないようです。
やはり適度に雨が降らないと、野菜や果樹、植物には良くない。小雨程度の雨降りでは、植物の根まで雨が届かないで蒸発してしまいます。いくら人が水をまいても、表面だけで地面深くまでは、中々届かないので空しい努力でしょうか?
 さて人間社会では、自然界の弱肉強食の動物社会とは異なり、上下関係や人間関係が有ります。
 会社では、良い上司に恵まれれば良いのですが、地位や名声などを笠に着て、威張り散らしている様な人は、何処の会社でも見かけます。また、人に憎(にく)まれる様な人間が却(かえ)って世間に幅をきかす事も多いものです。
 また正当な仕事の評価をしてもらえなかったリ、或いは成果を上司に奪われたりすることも有ります。
そんな時には、気休めかもしれませんが、先人たちの諺(ことわざ)や名文句を思い出します。(以下)

1.平家物語の冒頭には、『奢れる者久しからず』 『ただ春の夜の夢の如し』とあります。
 意味;地位、富、名声などを笠に着て威張り散らしている様な者は、遠からず没落するものだ
     ちょうど、春の夜の夢の様に、はかないものだ
2.また、『憎まれっ子、世に憚る』と言います。
 意味;人に憎まれる様な人間が、却(かえ)って世間に幅をきかすものだ
3.悔しい思いをしても、どうにもならない時には宮沢賢治の名言でしょうか?
 "雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち、慾はなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている…

 先人達のこんな名言を思い出し、これからもお互い逞(たくま)しく生きて行きましょう。ではまた。
添付写真;キュウリの花
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転ばぬ先の杖、予防の時代?

今日は堤です。最近、初夏らしく暑くなってきました。戸外へ出る時には、暑さと蚊の対策が必要です。
 暑さ対策では、やはり帽子(或いは日傘)などで、直射日光が当たらない様にして、頭をなるべく冷やすこと。
帽子は、紫外線もある程度防いでくれます。
 頭は昔から、『頭を冷やせ』と言います。(辞書での意味は、興奮をさまし冷静になることですが、頭を冷やす事は大切です)
 蚊の対策は、蚊がいそうもない場所では不要ですが、いそうな場所では、手足の肌を出さない、香取線香をつける、虫よけスプレーをする(但し、汗をかくと流れてしまうかも?)などの対策必要です。
 私達の暮らしの中では、今までの知識や習慣で、転ばぬ先の杖(意味:失敗しない様に、前もって用意しておくこと)を、知らず知らずのうちに実践しています。
 
 現代では、事故や事件や病気や怪我を様々な方法で予防したり対策しています。
例えば、事故では、様々な交通安全や安全対策。
事件では、防犯カメラなどの対策。
病気では、予防接種、虫歯予防、新薬開発など。
怪我では、色々な怪我を防止する対策。
 これらの対策の最終目標は、警察や病院が不要になることかもしれませんが、今のところ無理です。
人間社会では今後、事故や事件を予防したり、怪我や病気を予防する予防の時代へと進んで行くと思います。
 お互い此れからも、出来るだけ色々なことを予防する事で、楽しく明るく生きて行きたいものです。ではまた。
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群れをなす?集団行動?団体行動?個人と団体?

今日は、堤です。
 いよいよ暑くなってきました。野菜作りでは、暑くなってくると蚊が出てきて刺されてしまうので、(戸外の畑では)やはり蚊取り線香が必須です。虫よけスプレーは、汗で流れてしまうのか、あまりききません(個人の感想です)。
 さて、何種類かの熱帯魚を同じ水槽で飼っているのですが、良く見ていると、同じ種類の熱帯魚が、何時の間にか、かたまって群れをなして?行動しています。
 魚の習性でしょうか?仲間と一緒にいて身を守る本能なのでしょうか?似通っているもの同士は、自然と引き寄せられるのかもしれません。
 人でも、集団行動します。団体旅行?これは、個人で行くよりも値段が安いからも有ります。また要所の観光地を効率良くまわれ、添乗員が日本語を喋ってくれれば何より便利で良いし安心です。
 個人の一人の力は弱いけど、団体では何事も強くなれる。一本の糸は弱いけど、数本集まれば強い。
 一方、個人の良さも有ります。個人では、独創性、多様性、自由、自己啓発など、自分だけの個性を伸ばしたり、自分だけの時間を持ったり、自分の生き方など出来ます。
 人の大多数は、人間社会の集団の中で生きて行くしかありません。
個人と団体の良い面を上手く生かしながら世渡り上手に生きて行ければ、失敗や後悔が少なくなるのではないでしょうか?お互い、団体の中で共に助け合い、励まし合ったり、競ったりし、個人的には個性的に明るく生きて行きたいものです。ではまた。
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足るを知る者は富む

今日は堤です。
 今年は、春先に気温が上がらず、畑に蒔いたインゲンなどは発芽しませんでした(種を買い、また蒔きました)。
毎年、自然は変化するので、それに合わせて人の方が、色々な野菜作りの調整を行う必要が有ります。
まあこの色々な変化や違い(自然の気温変化、種の状態、栽培場所の違い、選択した野菜の種類の違いなど)が有るからこそ、野菜作りが飽きないのだとは思います。
 でも、野菜の不作や期待外れ、思っていたより大変であるなどで、野菜作りを断念する人もいます。夏は暑いし、蚊に刺されたり、冬は寒いし、自然は人にはコントロール出来ません。
 
 さて私達は人間社会で生活していますが、そこには自分だけの器(才能、器量など)、能力、裁量などが有ります。この自分の器の範囲内において人間社会で生活して行きます。
 この器により、より良い生活をする為に努力したり、更に向上する為にも努力します。しかしながら、夫々の人には、限られた時間が有り、その中で暮らして行かなければなりません。
 老子は『足るを知る者は富む』(分相応に満足出来る者、意義を知る者は、生活が貧しくても心は豊かである)と言っています。
 人には、分相応とか足るを知る事が必要であり、高望みや欲張ったり、妬(ねた)んだりせず心を豊かにして生きて行きなさいと言うことかもしれません。
 人の欲望には、きりが有りませんが、自分の器や時間には限りが有ります。努力は必要ですが、身の丈を知り、満足する事は必要です。
 お互い、限り有る時間の中で、なるべく後悔しない様に、満足して心を豊かにして生きて行きましょう。ではまた。写真:クンシラン
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一期一会、出会い、運命、別れ

今日は堤です。
 関東地方での桜の花の咲く時期は、終りに近づいてきました。この時期には、桜を見ようとしなくても目にする事が多いものです。私の家でも、隣家の桜を目にします。
 さて私達は、今まで生きて来て、各自が色々な経験をしてきています。
1.袖振り合うも他生(又は多生)の縁であり、
 ちょっとした出来事も、すべて宿世(しゅくせ)の因縁によるらしいです。
 おそらく、今経験や体験している事全てに理由が有るのでは?但し、それが分からないだけなのでは?
2.また、ある時には一期一会(いちごいちえ)であり、
 生涯にただ一度まみえることです。この過ぎ去って行く時間は、二度と来ないのだから、経験や体験する事 全ては、一期一会の積み重ねや繰り返しなのだと思います。
3.また、ある時には運命で出会い、長短は有っても何時かは別れが有ります。
 人間同士以外にも、ペットや動植物と出会ったり、或いは仕事、経験、衣食住全てが、自分との出会いです。
  以前は死が二人を別つまでなどと結婚式には言いました。でも最近では離婚する人が増加した為か
 私達の愛が続く限りと言う事も有るらしいです。
 
 今こうして生きている事は、お互い、生を受けて生きる事が与えられ、貴重な(生きる)経験をしている感謝すべきものかもしれません。ではまた。
写真:シンビニューム
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引き継がれるものは?

今日は堤です。
今、桜の花が咲こうとしています。また今年も春がやって来ました。毎年、決まって桜が咲くのは、桜の木が季節を覚えているからでしょうか?それとも、気温が上がってきて、花の咲く適した条件が整ったからでしょうか?
 木が小さい時には花が咲かないので、木自体の咲く事の出来る条件が整い、更に花の咲く季節や天候の条件が整ったから、桜は咲くのでしょう。
 この時期には、夏野菜の種を蒔いたり、苗を植えたりします。
この野菜の種や苗の命は、昨年など先に生まれ育った野菜から生まれてきた命で、命が引き継がれたものです。まるで、ロウソクの炎が消えない様に、火のついたロウソクから、火のついていないロウソクへと次々と火を引き継いでいるように。
 命が引き継がれるのは何故なのか?
命は永遠ではありません。その為、次の命へと命が引き継がれて行くのかもしれません
 引き継がれるものは、命、文化、科学、環境などであり、先に生まれた人々から引き継がれたり引き継いだもので、負の遺産以外は感謝すべきものだと思います。
 今の我々の生活が有るのは、先人たちが苦労して築き上げたものだからです。
 ふと桜の木を眺めていたら、人も動物も植物も、今を生きている生き物は太古の昔より全て引き継がれてきた大切な命なのだと感じられます。
 また、今を生きる生き物は、種類は異なっていても全て時を同じくして今を生きる仲間同士なのだとも思います。
 でもまあとりあえず、今年も桜の花が見られて良かったなあと、引き継がれて生きていることに感謝です。
ではまた。写真:ブロッコリーの花
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七転び八起き

今日は、堤です。
先日のテニスでの怪我で、不自由な生活が続いていましたが、ようやく治ってきました。
 健康の為に始めたテニスが、かえって怪我に至ったのでは本末転倒元も子もない
そこで、怪我せず何時でもテニスが気楽に出来る様に、テニスボールを投球するマシーンを使って運動する様にしました(元々の趣旨は、健康に良いので、手軽に無理せず運動したいと言う事でありました)。
 こんな怪我が無ければ思いつかなかった(テニスマシーンを使うという)アイデアは、まさに怪我の功名七転び八起き?転んでもタダでは起き上がらない、何かを掴んで起き上がる事で、無駄ではなかったと自画自賛?でしょうか。
 人生には、浮き沈みが有ります。人生は沈んだままでも、或いは浮き上がっても続きます。
度重なる失敗にも屈せず奮起したり、或いはこの経験を活かしたり、踏み台として立ち上がったり、別の人生を歩んだリするなどが大切なのではないでしょうか。
 今回、身をもって実感しました。
これからも、お互い健康第一で怪我をせず楽しく明るく暮らして行きたいものです。ではまた。
写真:ムスカリ
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我身を抓(つね)って人の痛さを知れ?自分の痛さを知る?

今日は、堤です。
 最近、数十年ぶりにテニスをしましたが遭えなく、手と顔をすりむいてしまいました。
長い事、テニスしてない内に、近視になっている事を忘れ、(メガネが無いと)飛んで来たボールがぼやけているし、足元がおぼつかなくなっていて(反射神経?筋力も衰えている?)、無理にボールをとろうとして躓(つまず)いてしまいました。後には後悔です(後悔先に立たず)。
 でも軽い傷なので治ると思いますが、傷が治るまでは不自由であり、水や汚れは禁物で日常生活が不便です。
 それに、ばい菌(細菌)が傷から入るといけないので、傷が治るまで、野菜作りが出来ません。
 我身を抓って人の痛さを知れと言う諺が有り、何事も自分の身に引き比べて、他人についても思いやれとの意味ですが、自分で自分を抓って自分の痛さを痛感致しました
 やはり健康であり、怪我や事故にならない様に、分相応の(身分や能力に相応しい)事をすべきであると実感致しました。
 自分を思い、他人には思いやりを持ち、お互い明るく楽しく生きて行きたいものです。ではまた。(写真:ゼラニウム)
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過去、現在、未来と前世、現世、来世?

今日は堤です。2月になって、日差しは強くなってきましたが、風が強く吹くようになり、夜と朝方はまだまだ寒いです。日差しが有ると暖かく、寒暖の差が大きくなってきました。三寒四温でしょうか?日ごとに少しずつ暖かくなって行きます。
 因果と季節は、巡る糸車の様でしょうか?歴史は繰り返され、季節も繰り返し、時がいつの間にか過ぎ去って行きます。
 さて、この生きる世界では、知らないうちに黙っていても時間(時)は過ぎ去って行きます。
そして、生れて来る以前と同じく、生きていない状態(死)へと何れは至ります。(生有る者は必ず死あり:揚子法言(君子)より)
 過去と現在と未来は、時が連続していて途切れません。生きる事は、死によって途切れてしまうかもしれませんが、生死に関係なく時間は連続しています。
 時間と生きる事の違いは、連続と不連続の違いであり、どちらも連続や何らかの繋(つな)がりを持っている様な気がします。
 命は、先に生まれた命から引き継がれて連続し、この生きる世界で生きる事は繋がっています。やはり、生きる事は、何らかの繋がりや絆で、生きる前後や、生きている者同士が複雑に繋がっている様に思えます。(袖振り合うも多生の縁:道行く知らない人と袖が触れ合うことさえ宿縁による)
  死によって、その魂が消滅するのではなく存在し、今の生きる生き方が、その魂の将来や今後の来世を決める要因となっている様な気がします。
因果応報:過去における善悪の業に応じて現在における幸不幸の果報を生じ、現在の業に応じて未来を生じる事)
 そう思えば、今の生きる事には重大な意義が有り、一生懸命に生きて行く事が大切です
 どうやって生きて行くかは、その個人(魂)の自由ですが、考え方によって人生が充実したり、後悔に繋がったりします。後悔しないで充実した人生を送れる様に、お互い努力して行きましょう。ではまた。(追伸:写真はアロエの花)
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見かけに因らないものに価値が有る?無い?

今日は、堤です。
 ようやく日照時間が伸びてきて、日差しが有り、風が無い時には、暖かく感じられる様になってきました。
野菜には、太陽光の必要程度により、陰性植物、半陰性植物(注)、陽性植物が有るようです。
意外だったのは、ジャガイモ、ネギ、イチゴ、春菊などは半陰性植物との事。
 半陰性植物:一日3~4時間の直射日光か、或いは木漏れ日程度の明るさが1日有れば育つ植物との事。

 さて今時では、世間にはものが溢れ、お金が有れば殆どのものが買える様な時代でしょうか?
でも、簡単に手に入るものには、それだけの価値しか無いとは言えないでしょうか。
簡単に手に入ったものは大切にしないから直ぐ無くなるし、嬉しくもないから満足出来ない
 価値観の違いは、色々な人に有ります。
 人間社会で生活して行くには、自分を良く知り、自分の器の中で無理せず慌てず生きて行く事が大切です。
 例えば、買い物をする時には、自分の(器で)買える範囲のものを買います。
(自分の器で買えない様なものは買えませんが、無理してローンやクレジットカードで買うと、後で、積りに積もって苦しくなります)
 そこで、買い物では、安く買ったものが高そうに見えたり>、"安物買いの銭失い"でなかった事に満足したりすることに価値が有る様な気がします。
 また、"人は見かけによらぬもの"と言い、貧相、貧乏そうに見えた人が、金持ちだったり、優秀、立派な人だったりします。逆に、金持ちに見えても、借金だらけであったり、だらしなかったリ、労費癖が有ったりする人もいます。
 これからも、見かけに騙されない様にして、本当に自分に価値の有るものを大切にし、お互い賢く生きて行きましょう。ではまた。
写真:ポトスとサンスベリア(左下)(観葉植物)
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共に生きる、共存共栄、器、成長の限界?

新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
 今は農閑期で、野菜作りの作業は少ないので、今の内に春先からの作業に備えます(春先から野菜の植え付け、種まきなどの作業が始まります)。
 今年は、野菜作りの面積(農耕地?趣味野菜?)を増やすべく、土作りをしたり、ブロックで土留めをしたり、この寒い冬でも戸外で作業をしていましたが、ようやく終了まじかです。戸外は寒いので、マスク、手袋、防寒具が必須(特にマスクは、寒い空気を直接吸って肺や体が冷えない様に、また戸外の埃などを直接吸わない様に必須です)。この寒いのに戸外で作業?と思うかもしれませんが、体を動かしていると、寒さを忘れる位に温かくなります。また夏などの暑い時の方が、直ぐに体が熱くなり、発汗と疲れから作業が出来ません。
 
 さて私達は、周囲に人や生き物に囲まれて生活しています。勿論、生き物(食べ物)を食べたり、人間社会で集団で暮らす事でしか生きて行けません(一人だけでは生きて行けないし、原始社会へは戻れません)。
 共に生きる、共存共栄が理想なのですが、生きて行く為には、他の生き物を食べたり、人間社会で生活出来る様にならないと生きて行けません。
 また、共存共栄にも成長の限界が有り(個人的には)、今でいえば、エネルギーの過剰使用、公害、新たな病気、人間社会の閉鎖性、利己主義的な思想の蔓延などのマイナス要因が、成長を阻害している様です。
 ネット社会と言われる様に、人間社会はグローバル化してきて、地球での人間の生活が狭苦しいかの様に、スピードが速く、正確になって来ました。ただ、私達の真の生きる目的は、此れではないと思います。この恵まれた現代の手段を使いつつ、生き甲斐とか真の人間社会の成長、目的、目標に向かって努力すべきではないかと思います。複雑な人間社会で生きて行くには、それに適応しなければなりませんが、適応だけでは、真の生き方は見つけられないと思います。一歩先へ、適応して更に自分の本当に求めている真の生き方を追求し、後悔しない様に努力することかもしれません。ではまた。
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人には、夫々の思い出と夢が有る?

今日は、堤です。
 早いもので今年も12月で寒くなりました。あれほど暑かった夏が嘘の様です。
 さて今、誰でも過去を振り返れば、色々な思い出(過去)が有ります。辛かった事や楽しかった事。みんな思い出です。そしてこれから(将来や未来)を生きて行きます。
 将来に希望や夢や目標が持てても持てなくても、或いは将来が長くても短くても、必ず将来は有ります。
クヨクヨしてても始まらないし、『渡る世間に鬼はない』とも言い、まあ明るく考えてポジティブに生きて行った方が、幸運が来る様な気がします。
 他力本願とか、周りに流されるだけでもいけないでしょう。
 まあ、自分らしい自分だけの思い出を持ち、これからを希望や夢や目標を持って生きて行く事が大切なのではないでしょうか。ではまた。
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表裏一体の考え方?生き方?

今日は、堤です。
いよいよ年末の12月で、今年も色々な事が有りました。

 さて、この生きる世界では、表が有れば、裏が有ります。
コインには表裏が有り、誰もが知っています。
 所が、考え方や生き方にも表裏が有ると思うのですが、何故か片側しか分からなかったり、考えもしなかったりします。
 例えば、人は褒められると単純には喜びます。でも単純に喜んでよいのか?裏返せば、オダテであり持ち上げて何かをオネダリ?したり、或いはドンドン?働かせようとしているのかもしれません。
 また、では綺麗だねえとか優秀だねとか言っていてうわべだけで、では嫌味とか皮肉っているのかもしれません。
でも、あまり他人を疑って疑心暗鬼に陥ったり、人間不信になっても寂しいし、孤独になって行くのは悲しい事です。
 また、では心地よいとか嬉しいと言いながら、では不快だとか、隠れて悪口を言ったり、更には我慢していたんだとハラスメントで後で訴えるかもしれません。
 なにぶん、その人の真意が表裏どちらなのかを掴めなければ、逆に解釈したり、恨まれたりするかもしれません。
まあ、子供の様に純粋に表だけで生きて行ければよいのですが、大人になってからは、表裏一体で考えたり、生きて行かなければなりません。
 まあでもこれから、好い加減に表裏に気を付けながら、お互い生きて行きましょう。ではまた。
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類は友を呼ぶ?

今日は、堤です。
 近々、学校の同級生と会う予定なのですが、会う度にお互い人相が変わっていて(老けてきて?ボケはまだ?)、やっぱり同じく歳をとって行く仲間なんだなあと、安堵感と連帯感と諦めなどの複雑な思いがします。
 それは、自分と同じような性格、境遇、年齢など、似た者同士が自然と寄り集まるのだと思います。

 悪事に加担したり、共謀したりする人々は、同様な人々が集まり悪をなし、善良な人々も同様に似た者同士が集まって善をなします。
 貧富についても、金持ちは同類の金持ちと交際したり行動を共にし、貧乏人は同様に貧乏人と共に集まり行動する。金持ちの輪には、貧乏人は入れず、金持ちが貧乏になるのは容易だが、貧乏人が金持ちになるには難しい。そして、どちらになりたいか、どちらに多く集まるかは明らかです。
 まさに、この生きる世界は類は友を呼ぶ(似た者同士は自然と寄り集まる)世界なのでしょう。
(似た者同士)
1.年齢
似たような歳の人が集まるのは、興味や悩み、知識、体力、話題などの共通する事が多い為でしょうか。
若年者が年上や年長者を敬ったり尊敬したり優しくすると言うのは、過去には当たり前でしたが、今はどうでしょうか?
2.人柄、性格
 似たような性格や人柄の人々は集まります。
3.善悪
善と悪の似た者同士は、夫々集まりますが、圧倒的に善良な人が多く、悪の道へ進む人も初めは善良です。
善良な人が多くないと、社会は成り立たず、悪人がはびこれば無法地帯となります。
悪人が犯した罪が裁かれ、罰が与えられなければ、悪がはびこって行きます。
4.貧富
現在は、貧富の格差が広がっている様です。
但し、『金の切れ目が縁の切れ目』と言い、お金が有る時には、ちやほやと人が何処からともなく集まり、お金が無くなると去って行くのが世の常でしょうか?金持ちも、お金を浪費して使ってしまえば貧乏となり、惨めな思いを余計にすることは明らかです。
 まあ、とかくこの世は住みにくいでしょうか?お互い、何かを工夫しながら住みにくいこの世界を明るく生きて行きたいものです。ではまた。
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生きる事は感じる事?

今晩は、堤です。この頃、涼しくなってきました。
 冬野菜の植え付けが終わり、農家ではこれから農閑期になるのでしょうか?とても暑かったこの夏の日々は過ぎて、寒い季節がこれからやって来ます。
 何方(どちら)の季節も度が過ぎれば(気温が高くても低くても)不快感を感じたり、その季節を強く感じたりします。
 さて人は、生きている事を何によって実感しているかと言えば、感覚であり神経です。
人以外の生き物も、生きている事を感じているのでしょうが、我々人間には、(他の生き物の)その感覚は実感できません。
 我々には喜怒哀楽が有り、楽しかったリ嬉しかったリ、或いは悲しかったリ苦しかったリしても、その時が過ぎれば、『喉元過ぎれば熱さを忘れる』の例えの如く、苦しかった事も、過ぎ去れば全く忘れてしまうかもしれません。
だから今、辛い事が有っても、時が過ぎれば忘れてしまうのだから、我慢したり耐えたり辛抱したり諦めたり出来るのかもしれません(この生きる世界では、永遠に続く事や物はないのであるから)。
 また、他人の痛みや苦しみは、当事者(本人)以外には分からない事が多いものです。
頬をつねって人の痛さ(痛み)を知る』と言い、自分もその痛みを少しは味わえば、他人の痛みを分かるのではないでしょうか。
 我々は、この生きる世界を感じる事で実感し、時の流れに流されて生きて行くしかありません。
お互い、(自分に与えられた)生きるという事を実感し、時を大切にして生きて行きましょう。ではまた。
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